■とめるつもりが
ー 福商を卒業してからのことを聴かせて下さい。
普通科を卒業して福岡大学へ進学しました。それから10年ほど保険会社に勤めて6年前にこちらへ戻ってきました。
ー 保険会社に勤めていてホテル経営の後継ぎというのは考えていたんですか? いいえ。それは考えてなかったです。実は6年前にもう1軒ホテルをつくると父が言いはじめまして、立地が悪いと思い、止めに入ったのがきっかけなんですよ。
ー 保険業とホテル業と言うと共通する部分が少ないように思いますが戸惑いなどはありませんでしたか。
直接仕事に活かせるようなものはありませんし、戸惑いばかりでしたよ。サラリーマンと違い経営者として責任は重いし、ほとんど休みはありませんから。。。そうですね、今は父の代ですからできませんけど、活かせるとしたら外資の会社でしたので(経営に関する)考え方を取り入れて行きたいです。
ー 3枚名刺をいただきました。ホテル以外にも経営されてるんですね。
他にも会社があって、お弁当なんかもやってるんですよ。内容に力を入れたくて手広くはやってませんけど。おせち料理もあります。おかげさまで口コミで少しずつお客さまが増えて行ってます。
■ こんな時間に?!
ー 福商在校中、クラブは?
バスケット部でした。(当時の顧問)中倉先生から今朝(取材当日)も電話がありましたよ。。。今でも行き来がありますし、友人にしても大学の時より高校時代の友人ばかりです。
ー バスケ部は特につながりが強いと聴いてますが。
OBのチームが2つあります。。。先輩と会うことが多いですね。今年(平成十五年)の合同同窓会実行委員長、無津呂さんはバスケ部の先輩でしたから出席するつもりでしたけど、前日ここ(ホテル)で働いていた後輩が亡くなってしまい行けませんでした。後輩は本当に残念でした。
当時の思い出と言えば何と言っても「夏の合宿」ですね。夜中12時頃まで練習するんですが、横になって間もなく1時過ぎに起こされてそれからまた闇練(ヤミレン)とか言って練習があるんですよ。で、2時頃からOB戦が始まって勝つまでやめらないんですから。。。これはきつかったですよ。
今じゃOBが集まり飲んだりして楽しくやってます。夏の合宿もよい経験。あの合宿を経験したら何にも怖くないですよ。
■ 校歌はそのままで…
ー 福商はどんなところでしたか。
とにかくバスケづけだったけど、楽しかったし自由だった。生徒どうし仲が良かった。福翔になったのはさみしいです。でも夏OB大会が福翔で開かれた時、在校生たちが変わらない校歌を唱ってくれたのがうれしかったです。
ー 卒業生の皆さんに一言お願いします。
特に後輩へ…。高校の仲間を大切にしてほしいです。自分自身、高校の仲間はずっと身の回りにいますからね。大好きな福商の楽しくて自由な校風も大事にしてほしいです。
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