― こんにちは。ここまで歩きながらお話しを伺ってきたんですが、やはりまずは剣道について聞かせて下さい。剣道では良い成績を残こされてますね、高校に入る前からされていたんですか。
「いやぁ、僕と当時の大将は高校に入ってから。実はね、最初はコーラス部に入ろうと思っとったとよ。でも女の子ばかりで僕ともう一人しか男で希望者がおらんかったけん、入れんやった。で、中学の時に柔道ば少ししよったけん、道場に見に行ったったい。そしたら太か人しかおらんやった。当時からだが小さかったけんね。こりゃ出来んばいって。それから剣道場に行ったら中学の先輩がいらしたし、小さいからだで強い先輩もおらしゃったのを見て、僕にも出来るっちゃないかいなと考えて剣道部に入った。‥同じ学年で全試合に出たのは、僕とキャプテンだけだった。あとは入れ替わりたち代わりだった。部員が多かったからね。当時部員が80人くらいおったやろ、試合には5人しか出られんけんね。1、2年で強いとが入ってきて、席の奪い合いたい」
― そうすると自然と強い人が出ることになって、勝っていったんですね。
「そうそう、当時『新人戦』やら『中部地区大会』やらあったけど、1校3チーム出してよかったんよ。そしたらどっちも1、2、3位独占するったい。…僕らの前の年は強かったとばってん、実力ば出せんでね。その前が2年連続優勝しとったけど、そん時だけ負けて全部優勝旗ば返してしもうて、そればまた全部取りかえしたったい。だから、その頃が一番良かったろうね」
― ホントに強かったんですね。
「そして、(3連覇のあと)15年間なかったわけたい。で、白水(74回生)たちが取りかえして連続優勝したったいね。白水やら心臓に毛がはえとうごとあったね。…その頃までずっと学校に行きよったけんね。夏の合宿やら行くわけたい。(剣道部が)強いと、黙っとってもみんな行く。弱い時こそ行っちゃらんとね。どうしても足が遠のくからね。自分も40(才)ぐらいになっとたけど、社会人の試合に出よったけん、それもあったけど。…だから、白水や吉村たちは僕ら先輩たちにえらいしごかれとっちゃないかいな」
― そうやって先輩が来てくれると心強いと思いますよ。放課後にも行かれてたんでしょう。
「そうよ。OBの方が多いくらいやった、合宿以外でも。朝練やらするやない、OBが多いもんやけんくさ、現役が休まれんとよ。…で、現役とOBとが試合して現役が勝つくらいの時やないと、優勝できん。『段』からいけば、僕らの方が上ばってん、現役が勝たんと優勝できん。白水はやっぱり強かったばい」
― 剣道部の練習はどんなことするんですか。
「やっぱり、寒稽古はすごいよ。…僕やらは足の親指が割れっとってから、その割れ目に砂が入るったい。それば針で、コ〜ほじくってからね。マメも堅とうなっとうけん、小刀で削りよった。
…まぁ、練習は競争でしよった。
『お前何本いった?』
『6本』
て言いよったけど、みんなウソ言いようもんね。
『休まんですれば12本くらい行くバイ。やったら、10本、12本いっとこう』
って、しよったもんね。
…先生からは5〜600本やりなさいって言われよったけど、素振りは3000回しよったよ。そのくらいしよかんと試合に出られんけんね。休みなしでやりよった。負けとられんよ」
― 部員が80人もいたらそうなりますよね。
「僕が入った時、60人くらい一緒に入って、一学期が終わる頃には半分辞めて、二学期が終わる頃にはまた半分。…練習が厳しいのもあったけど、試合に出られんやったら、面白なかもんね。3年までおったのは12人くらいだった。今、そげん辞めたら『(剣道)部』が成り立たんもんね」
― 昨年、総合学科に変わったから男子生徒が増えて、少しは入ってくれるといいですね。
「そうやね。…(いい人材をふやすことについて、誤解を恐れずに言うなら)頭の悪いのはやっぱり強くはならん。成績がいいのもいいけどね、頭が悪いと言うのは成績の善し悪しとは違うったい。僕は成績悪かったよ。試験勉強やらせんやったけんね。帰ったらバタンキューやモンね。…剣道を教えに行くやろ。頭のいい子はね、ちょっとヒントやるったい、そしたらね、それを聞いて(先輩のいうことを理解して)自分で努力する。ところがね、頭の悪い子はいくら素質や運動神経があっても努力せんけんダメ。
…僕が(福商に)入った時は(成績)良かったんやけど、一年生が終わる頃には後ろに5、6人しかおらんやった。数学で欠点をとって、担任の山野先生(のち第11代校長)から『もう剣道やめれ』て言われた。ほんの少しの間、(剣道から)離れたけど、剣道辞めるくらいなら学校辞めるって言って続けたったい」
― 卒業してお仕事の方は。
「僕らの時は就職難だったんだけれども、勤めとった会社のオーナーと担任の小松原先生が先輩後輩だった。そして、うちの親爺が銀行の比恵支店(博多区)の支店長で、そこに会社の会長がお金の相談に来よったんよ。その2つの線があったたいね。それで僕が就職が決まってなくてバイトしよったら、会長がうちに来なさいって言うわけたい。で、担任もあそこ行けって言ってね、先生と親爺の意見が一致したったい。…ただね、僕は警察になる予定やったんよ(笑)。ところが親爺の強い反対にあってね。やったらしよんないたいね」
― はぁー、面白いですね。コーラス部に入ろうとして剣道部に入るし、自分は警察官になろうと思ったらその剣道も絡んで会社も決まってしまって。
その後ずっとその会社にお勤めだったんですか。
「途中でね、関連会社に退職金をもらっていった。でも、メーカー系列の会社で面白くなかったんよ。ちょうど辞めようかと思ってたところに、帰って来いって言われて戻ったたい。その時の条件が一回もらった退職金はそのままで、もう一度18(才)から入ったごとするけんっていうけん、僕は戻ったたい(笑)。‥それがね、入社する時の条件もあって、それは会社に剣道部をつくるということだったんだけど、これは守らっしゃれんやった(笑)。‥その代わりよく言ってくれよった。5時なると、『ほら、仕事が手につかんめぇが、学校で(剣道の)練習して、また帰ってきて仕事しなさい』って。そういう面で恵まれとった。‥そうやって働いてきて小さい会社ながら役員までさせてもろうて、能力からいったら『よし』としようと(うんうん)」
― 卒業してもそうやって学校とのかかわりがあるというのはいいことですよね。
「卒業しても福商と縁があったのは、剣道のおかげ。(自分達には)激励会やら優勝祝いやらしてもらって、いい思いしとうやない。これはやっぱりしてもろうとうことを(後輩に)してやらないかんって、いつも思いよった。それは先輩の義務やと思う。…ただ、意外と最近は自分さえ良ければていうのが多いとよ」
― そうですか。…昨年の百周年にちなんで3年間「スポーツOB交流会」
が開かれていましたが、できれば今年も開いてほしかったなと思うんですが、そういうことも『自分さえ…』ということの表れなんでしょうか。
「う〜ん、だから剣道部でもね、(成績が)良い時悪い時の差があって(激励会などに)7、8人の先輩しか来てない時があった。で、なしかいなと考えた時に、優勝した時の自慢話を生徒たちにするよね。生徒を発奮させる意味もあるっちゃろうけど。OBの中で優勝して良い思いをした者より負けた者の方が多いわけよ。するとそんな話、面白くないわな。で、形見が狭い、出て来んごとなる。こればいって。ある日、2つ上の(優勝経験のある)先輩に、こげんことがあるっちゃないかいな、やけん一次会では自慢話禁止にしよう、そういう話は二次会以降にしようって言うたったい。そして、集めたら大体40人くらい来るようになった。それまでは強い時にはワ〜と来る、弱くなったら誰も来ん。強い時はどこからわいてきたっちゃろうかぁって思うほど来るけんね。でもね、先輩から苦情が出た。生徒たちがハッスルするように話ししよっちゃけんって。それはちがう、人間誰でも自慢話したいって、でも話す場所があろうがって。していいところに行ってからしようやって。…今年、剣友会の会長をかえて若返らせたよ」
― 若返りと言えば、いろんな組織にも言えると思うんですけど。
「若返らなきゃいかん。若いだけが良いわけじゃないばってんね。…福商会だって年寄りばっかりでしょ。(理事会の運営を)50代から下の人でやって、…60代から上の方には顧問とか相談役なんかになってもらって、若い人たちばみてやってね。そうなるべき人がちょっと引いてやらないかんとよ。理事は30人から40人おるわけ。で、60代のとこは何学年かにひとりにしてね。40代50代の一番動ける年代に15人くらい固めてね、(権限をあたえて)やらせるようにすればいい。中心になるようなところを多くできるやん。そうして下の年代も上とのつながりを考えて、何学年かにひとり入れといて年とってきたら徐々に上げていけばいいでしょ」
― 実際に動けるのは40代くらいでしょうし、年代ごとに役割があるんでしょうね。
「うん、やけん動けん人は金出せば良いとよ(笑)。若い人に求めたいのは旧いのがなんでも古いということではなくて、「温故知新」で年寄りのいうことを聞いて、歴史とかいろんなことを知ったうえでやってほしいね。年寄りがまたなんか言いようとか、言わんでね」
― 引き継いでいくものがたくさんありますよね。
「そう、そういうものを踏まえて新しいものを産んでいってほしい」
― 何かをやろうとした時に、知らないことがいっぱいあって、教えてほしいですよ。せっかく昨年の百周年で先輩から後輩まで幅広く人が集まったんだから、そういうつながりを大事にしたいです。
「剣道をとおして、ずっと上から下までつながりがあって、話をしてるから年寄りの言わっしゃーこともわかるし、若い人が言うことも意外にわかるわけ。年寄りは昔のことにこだわり過ぎることもある。…だから、百周年のことでもそう、年寄りは心意気だけで動くけど、若い人は心意気では動かんもん。…若い人もパァーと盛り上がる。けれども自分たちだけで盛り上がってようなところが見えた。若い分仕方ない部分もあるけど…ああいう(百周年のような)ことをする時には、なんでこういうことををやるのか、なんでせないかんのか、目的をしっかり理解して、本当に一生懸命やったのかというのが大事。・・・・・百周年(記念事業全体)に関しては、僕は失敗とは思わないけど、(手放しで)合格点はやれない。まぁ欠点すれすれの合格点くらい。それは上の先輩の責任もあるやろうし、下の子たちもそう」
― その点数をもっとあげて合格点にしようとすると、百周年のことをきっかけとして続けてゆくことですね。
「そう、続けて行かんといかん。その一つのきっかけがZeppでやったことたい。目に見えた効果が出たかどうかは別よ。だけども、一つのきっかけにはなるかと。あれだけのことやったから。だからこれを活かして行くのが若い人たちの仕事だと思う」
― その為にはやはり先輩方の協力をお願いすることになるんですが。
「そりゃぁ、先輩たちは応援しちゃらないかん。僕は応援するつもりだし、一人でできることは大したことはないけれども、何かあれば金はなくても知恵を出すとか、そういうことはしようと思ってる。へたくそながら、(この福商の)ホームページを見たり、時には掲示板に書き込みさしてもらいようけど、…僕も少し暇になったけんできるというのもあるし、もうちょっと年寄りにも関心持たしてやれるようなものにしたらいいね」
― そう思って、この「わ」にしてもホームページだけにとどめておくのはもったいないと思ってて福商会報にも出せたら良いんじゃないかと思ってるんですよ。
「そうやね。それだけでなくて『年寄りからの意見』があって、次は『若者からの意見』が出てってすると、お互いがどんなことを考えているのかがわかってくると思う。そうすると自然にどっかでつながってくると思うったい。…で、会報にしても、HPに抜粋版が出とったらろう、ああいうので(送られてくる会報は)興味がなくても、パソコンで見ることができれば逆に全部読んでみようかとなるはず。だからいろんな手を使ってアピールしていかんといかん」
― そうですね。一つのものをいろんな形にだして、できるだけ間口を広げておきたいですね。その関連でもう一つ考えているんですよ。それは若い人を集めてラジオ番組を作ろうとしてるんですよ。そうすれば、会報、HP、そして、ラジオと3つの方法でPRできるでしょ。また番組を作るにあたっては先輩や後輩に出てもらえればつながっていくし、それで卒業生の楽しめる場になれば良いかなと思ってるんです。その上、実際に集れるイベントもできれば良いかなと。
「それは良いことやね。そうやってせんとつながっていかんもんね。まぁ、ラジオとなればお金もいるやろ。その辺は知恵を出せば良い。先輩に言えば応援してくれる人がおるかもしれん。…福商会館に若い人たちが気軽に来てくれるようになると良いとばってんが」
― そうですね。福商会館で何かをしないと若い人が来ないから、もっと活用できれば良いなと考えているんですよ。
「まぁ、どんな風に改築するのかは知らんけれども、その時にホントに入りやすい場所‥。今は(ロビーが)一番奥やろ。ああいうところでも気楽に入れるような雰囲気を作れればね。あそこは商売するところじゃないっちゃん。運営する為に貸部屋やらしようけど、それは仕方ない。ただそれが本来の目的じゃないたいね。本来は卒業生がそういうもん(イベント)に使えるようにしとかないかん。…僕は剣道のことでずっとつながりがあるけど、それを抜いても佐々木さん(福商会事務局長)を若い時からの知っとうもんやけん、ちょくちょく出入りしよったったい。‥みんながそうなって、来る人数が増えりゃ、自然とつながりもできるちゃろうけどね」
― そうですね。…戦後、戦地から引き上げた卒業生のために同窓生の連絡先の確認をはじめ、就職を斡旋したのが福商会館を建てたそもそもの理由ですよね。不況で就職難の世の中ですが、そんな中でも人材を必要としている卒業生がいると思うんです。だから、福商会館に行けばそういう情報が得られるようになれば…。
「こういう時だからこそ、なおさらそういうことが必要になってくる。後輩やったら使ってみようかとかね。情報が活きてない部分がある。…実際に尊敬する二つ上の先輩が当時42歳で亡くなって、息子さん二人を(亡くなった先輩の同級生で別々の)OBのところで雇うてもらったもんね。親爺(先輩)が亡くなって、困っとう、何とかしちゃらないかん。(福商の)つながりがあるから、あちこち(卒業生)に声をかければどうにかなると思っとった」
― そういう仕組みがHPでできないかなと考えているんです。
福岡の経済界には多くの卒業生がいらっしゃるし、いろんな人が入ってきて、つながりができてくると、正にfukusyo@ネットワークと呼べるものが形作られて、そこに経済的なグループが生まれると思うんですが。
「それはあると思う。…福商の卒業生にはいろんな商売をしてる人がおるやろ。…福商はまとまっとうっていわれる。でも、福高(福岡高校)、修猷館に比べたらぜんぜん。記念行事があると(この2校は)ワァーと集まる。それは単に金持ちが多いけんじゃない。連帯感が強いから。その点福商は及ばない。残念やけどね」
==昼食を頂きながらお話しをして、デザートの「栗ぜんざい」を平らげたところ==
「甘いの大好きたい。今日作ると。朝、一生懸命 栗 剥いてきた」
― 栗が美味しい季節ですもんね。
「この頃は暇になって、釣りばかり行きようと。この前も76.5センチ、5キロのヒラメば釣った。その前は60センチのカンパチ、それと45センチくらいのヒラメ。今度の日曜も行くと。…小学校の時からずっと一緒の奴と行くったい。暇が出来てきて、忙しくなってきたと。釣りに行くやろ、週に2回泳ぎに行く。…週に1度打ちっぱなしにいくでしょ。これ以上太ったらいかんけんね、運動しよる。・・・それと今考えているのは、60の手習いで習字をしたいなぁと思ってる。習字の時間やらなかったけん我流やもんね」
― 昔の授業の中には「芸事」の授業なんかがあって、とても面白い授業がたくさんあったようですね。考えてみると総合学科に変わり、その当時のようにいろんな授業があって、趣旨的には似てきてるようですね。
「うん、似てるよ。僕らの時は「芸能商業」(選択)というのがあったかな。他にもいろんなとがあった、中国語とかね。‥暇が出来たけん、いろんなことしたい。ホント忙しくなった。今年は僕が還暦を迎える年やけん、会社のもんが還暦の祝いばしましょうやとか、お前暇になったちゃろうけん、出て来いとか‥夜のお誘いも忙しい(笑)」
― 今からまだまだ(習い事や遊びの他に)できることがあると思いますよ。
「ボランティア。ボランティアも善いことだからね。小さなことからやろうかと思うてちょっと加勢しようと。ボランティアってそういうもんやろ」
― なかよし共同作業所の代表の牧野さん(84回生)もおっしゃってましたが、「自分のできることを自分の範囲の中でやること」がボランティアだと思いますね。
「そうよ、そうよ。‥作業所って福翔の近くやろ。散歩でよく行くとよ。‥ボランティアなんてホンなことそんなもんよ。自分の名前を売ろうとか、銭儲けに結びつけようとか、そんなのボランティアじゃない。池田(広志さん/57回生)みたいに大きなボランティア(永年ミンダナオでボランティア活動を続けておられ、現在はハゲ山の植林活動と海岸線のマングローブ植林を指導/福商通信第41号〈2001.9.25発行〉に関連記事)はしきらんばってんね。僕達は凡人やからおまえみたいに大きいことはせんって。(笑)‥人が喜ぶことしよう、人が助かることしよう。ちょっとしたことやろうと思う。だから、自分がしたい時にすりゃぁいいっちゃけん。(やらなきゃいけないという)責任はないっちゃけん。で、そういうことは年とってもできるっちゃないかいな。…火曜日は奥さん孝行。『僕の一日を自由に使っていい』。それであちこち連れていかれよう」
― それもボランティアなんですね。(笑)
「ボランティア。(笑)…(奥さんは)パーマ屋しよったい。店がうちの家から歩いて5分くらいのところにあって、そこに義母さんが生活しよる。面倒をみるのもあって現役でパーマ屋しよったい。一緒に住むとなると気を使うしね。‥自分の親もおるから、週に一度行ってやりようけど、年寄りの面倒みるとは大変。おんなじ話しば何回も聞かされよう。これもボランティアかなぁ。‥でも、どっちみちあげんなるっちゃけんね」
― 話はかわるんですが、先ほども言われたように“福商バス停(伝言板)”で越智さんのお名前を拝見するんですが、パソコンはいつ頃から。
「パソコンは55歳から。それまでワープロも使ったこともない。‥ある日突然会社の机の上においてあるわけたい。(それをみて)このヤローと思うてね、俺ばバカにしやがってって(笑)。何ごと負けるかっちなもんよ。会社でするとはシャクやけん、若いもんに『うちんがた来やい。うなぎ食べさせるけん』とか『カツ食わせるけん』とか言って呼んで練習しよった」
― ( 隠れて努力するのは) 剣道の練習と同じですね。
「そうたい。 それこそクリックって何や?ってな調子やった。‥そうやってエクセル習って、簡単に表が作れるようになって。‥会社で自分で資料をつくってパっと出してから、どうや!っちなもんよ。みんなビックリしよったよ。(笑)こっちはもう『クソー俺に意地悪しよう』って思いよって。まぁ見とってんやいちなもんたい」
― そうやって新しいことに向かってるわけですね。さて、今日はいっぱい楽しい話を聴かせていただいたんですが、最後に後輩へ伝えたいことを一言、お願いします。
「何かで、しょっちゅう燃えとってほしい。‥若い時は2度ないっちゃから、なんでもいいから、燃えること。それは絶対財産になる。僕も剣道に燃えた。相手に勝つとか何とかじゃなくて、あの時本当に燃えたんだから、その気持ちが支えになって、大抵のことは我慢してやれるという自信につながる。ある程度年とった人にとっては若さを保つためにも何かに燃えることやね。燃えてると人が集まってくる。…同志と言う言葉が大好き。僕の中で定義があって、それは『志同じくして、熱き血潮をともに燃やせる仲間』。若い時にどこかで聞いたことやろうけど。大好き。…年寄りとか何とかじゃなくて、会社とかそうじゃない。目的はみんなおなじだから。…福商の『熱・意気・力』を知らずしらずに体験し教えてもらってるんやろうね」
― 最後にビシッと極めていただきありがとうございました。これからもお時間が余った時には剣道をはじめ色んなことで後輩と接していただきたいと思います。
「僕は誘ってもらえばたいがい断らんけん。‥そのかわり横着かけん大変かもよ(笑)それじゃまた」
Editor:Coppa Mijinco