■ 大学生活は野球と釣り…?
― 卒業して大学にはいっての半年、どんな感じですか。
「そうですね。思った以上に高校時代に戻りたい感じ、というかさみしい感じですね(笑)、もう一人福翔から同じ学校に行ってて‥よく学友会誌を見てて懐かしくなって、そいつ(松本さん)の部屋に行くとやっぱり学友会誌をみてて。野球やってる時は何でもないけど、夜になるととくに。学友会誌は必需品ですよ」
― その野球の毎日を過ごしてるということですけど。
「はい、夏休みは8月9月の2ヶ月あって、朝の8時から夜6時くらいまでやってました。すぐとなりが球場なんですけど、朝7時半に家を出てグランド整備をして…。昼(ご飯)も入らなくて全然食べれないけど、お茶漬けにしてでも食べないとカラダが持たない暑さですよ。…球場の温度が50度になるんですよ。あの温度計を見たらちょっと…」
― 部員が120人(4年生含む)ほどいるそうですけど、練習っていうのはどんな感じ。
「投手と野手が分かれてやってます。A軍、B軍があるんです、1軍2軍みたいに。で、球場を使う組と室内練習場を使う組に分かれたり、サブグランドもあるのでそちらを使ったりしてます」
― AとBは何人ずつくらいに分かれてるんですか。
「(4年生が引退したあと)30人(A)と60人(B)くらいですね」
― ベンチには何人は入れるんですか。
「ベンチ入りは25名です」
― 1年生のうちから30人の中に入る人もいるんですか。
「います、います。この前の試合にも1年生で出場してますよ。鹿児島で有名のピッチャーも出場しました」
― その試合は最後の決勝で負けてしまって残念でしたけど、日本文理大は強いんですね。
「ええ、最近は名前が知れてきて、そろそろ全国大会に手がかかるというところまで来ています」
― 僕にとっては高校野球と比べたら大学野球って縁遠いんですよ。大学生にとっての甲子園が神宮球場なんですよね。‥そのレギュラー取りについてはどうですか。
「う〜ん、やっぱり人数が多くてむずかしいかなと思ってたんですけど、夏に関西遠征というのがあるんですよ、その時に初めてA軍にはいって、大阪、京都、奈良について行かせてもらったんです。まだ、試合には出られませんでしたけど、ベンチに入るだけでも全然雰囲気が違いますよ‥。相手は甲子園に出てた人たちだったのですごかったですよ」
― キャッチャーは何人くらいいるんですか。
「1年生で7人、3学年で15人くらいいますよ。試合のベンチには3人くらいですね」
― 今年1年生は何人入部したんですか。もう辞めた人はいるんですか。
「入ったのは40人くらいです。‥(辞めた人は)今年は少ないらしくて5、6人です。いつもなら、夏の暑さで10人くらい辞めるそうです。大学に入って目標が変わってそれで道を変える人もいるそうです」
― なるほど。‥山内さんは大学に入る時に将来(特に野球)についてどう考えていたんですか。
「高校から大学に上がる時に野球を続けるか迷ったんですよ。航空関係の仕事に就きたくて調べていたら、先生にこの学校に航空工学部があるのを聞いて、こちらか航空の専門学校にしようかと思ってたんですよ。そしたら野球部のセレクションがあって学校見学ができるというので学校を見るつもりでたまたま受けたら合格して…」
― では学部は?
「商学部です。航空工学部に入ったら実験などがあって野球は出来ないですから」
― じゃぁ、本来の希望とは違ってきたわけですね。
「はい。何でこうなったのか(笑)‥けど、これが運かなと。これからもドンドン変わって行きますよ」
― 今は野球が主で、将来のことはちょっと考えられないというところでしょうか。
「教職の授業はとるようにしたんですよ、あとで後悔しないように。‥最近一つやりたいと思うことをみつけたんですけど、それが現実的なことか非現実的なことか、まだ自分でも分からないんでこれからもっと調べてそれで気持ちが固まりしだい報告します」
― じゃ、またそれが見えてきたら教えて下さい。…ところでさっき(お店に歩いて来る間に)話してたけど、最近釣りをしてるそうですね。
「はい。夏休みは夕方に練習が終わってたから、7時か8時ぐらいから行けてたんですけど、学校ある時は夜11時ぐらいから行ってるんですよ。で、3時ぐらいに帰ってきたり」
― 獲物はタチウオ?
「タチウオは今からです。暖かい時はチヌ、クロ。‥アラカブもいまから」
― 釣りはこちらにいる時からやってたんですか?
「いいえ、中学校の時はダムでバス釣りしてましたけど、海には遠くて行けなくて。けど大学に入ったら宮崎の友達が多いんですよ。宮崎って海が近いじゃないですか。釣りばかりやりよって海釣りに詳しいから習って。それに料理も上手いし、さばいたりして。…楽しいですよ。自分で釣って、自分でさばいて食べるのは」
― 野球をしてるとアルバイトをする時間がなくて、(お金のかかる)遊びは行けないですね。
「お金のことについては親につくづく迷惑かけてるなと思います。一人暮らししてて電気代とかも自分で払うじゃないですか。その都度お金下しよったら、必要なお金なんですけど、どんどん使ってるのがわかるんであんまり使われんなって」
― 全寮ではないんでしょ。 ‥それとご飯はどうしてるの。
「そうじゃないです。たまたま決められたアパートが野球部員ばかりのところで。そこは寮というわけでなくて普通のアパートで1年生は二人部屋なんですよ。‥ご飯は食堂がついてるんです。」
― 寮じゃなくて、緩やかな下宿みたいな感じなんですね。
「そうです、そんな感じです」
― 基本的な質問で恐縮なんですけど、学校は共学ですか。
「共学だけど、女性は‥学年に10人ぐらい。ほとんど見ないです(笑)最近(帰ってきて)天神とか福翔の往復でしょ。久しぶりに女の人を見ました。‥もうほぼ男子校です」
― 商学部だったら、女性が多いんじゃない。
「いや、ぜんぜん。…全国でもトップクラスのチアリーディング部があるんですよ。部員の女性がいるぐらいで、ほかの女性はほんの2、3人です。‥福翔の人数が正反対だから」
― 逆に競争率が高いというか。‥野球をやることが生活の中心だからなんだけど、出会いがないね(笑)市街地に出かけることはあるんですか。
「出会いはびっくりするほどないです(笑)‥街までバイク(原付き)で20分くらいなんですけど、滅多に出かけないですね。その代わりに温泉にはしょっちゅう行きます。実家近くにも温泉(二日市温泉)がありますし、温泉好きなんですよ。週に2、3回行きます。24時間入れて安い(300円)し」
■ 福商百周年と生徒会長
― ちょっと話をかえて、高校在校中は野球部とともに生徒会でも生徒会長として活躍しとても人気者だったように見えたんですけど(笑)
「どうですかね(笑)。‥もともと誰とでもしゃべる方で、特にあの時(第50次)の生徒会のメンバーは他の生徒とも仲が好くてそんなふうに見えたんだと思います」
― ちょうど百周年だったでしょ。いろんなことをやるにしても必ず百周年というのがついてきたと思うんですが、その点はどんな感じでしたか。
「最初生徒会なんかはやったことがなくて、自分が生徒会長になるなんて思わなかったです。担任のN倉先生に呼ばれて(生徒会長をと)言われたんです。でも、それはまずいやろって。なにしろ僕は人前に出るのがホントーーに苦手で決まったあとも『人前に出ない仕事だったら何でもする』と言ってたぐらいですから。それに百周年というのはわかっていたし、自分がやるわけにはいかんって考えていたけど、そうやって推薦してくれたらうれしいじゃないですか。そう考えてやることにして、投票が済んだ翌日から「百周年のプレッシャー」が予想以上にあって。‥逆にそういう大きなものがあったからやれたような気がします」
― そういうタイプなのかもしれませんね。いい緊張感を持ってできたというか。‥それに野球もやりながらだから。
「はい、そうですね。一度も気を抜く暇がなかったです。‥キャプテンもしてたから練習にも出なくちゃいけなかったけど、式典に出席したりしてどうしても出られずみんなに迷惑をかけました。だけど、野球部のみんなもかなり協力してくれてホントにありがたかったです」
― そういうこともありますね。(生徒会)やってみてよかったですか。
「それはもう100%やってよかったです。やらずにいたら全然違っていたでしょうね。生徒会を経験してみて大変さとか今までの生徒会の人たちがいかに苦労したか、そういうことがわかりました。…それまでは、(生徒会は)自分には関係ないって思ってましたけど、逆転しました」
― その一年間でこれは勘弁してくれというくらい一番苦労したのはどんなことでしたか。
「あれですかねぇ。‥去年の今頃、招待試合、体育祭そして文化祭が間を開けずにあったんです。体育祭のことだけじゃダメだし、次の文化祭のこともやらなきゃいけないしで、帰りが一週間くらい(午前)1時頃でいつも終電だったんですよ。そんな時に自分がおりる駅だけ寝過ごしてしまったんですよ。で、お金も携帯もなくて、あのときはもう(グスッ)‥みたいな。一つ前の駅まで起きとって、おりる駅を出た途端目がさめて。自分の(降りる)駅を見ながら半分寝ぼけて…。でも今思えば幸せでした。セミナーハウスにも泊まり込んで朝の6時くらいまでやったり。そういうのが全然苦になりませんでした」
― 苦労したけど、それも楽しかったと言うわけですね。その反対にこれはもう最高という瞬間はいつでしたか。
「体育祭の閉会式の最後に各ブロックの代表が出てきて、僕と体育委員長のT浜くん、Y木さん、そしてT田先生を胴揚げしてくれたんですよ、運動場のまん中で。あの時はホント涙が出てきました。みんなが支えてくれて(成功できて)感謝しなくちゃいけないのに、逆に胴揚げしてくれて」
― あの時ちょうど見てたけど、よかったよね。今までに見たことのない光景だったし。先生まで胴揚げして。前の年にも胴上げはあったんですか。
「いいえ、なかったです。いつもの通り閉会式が終わればそれでお終いという感じで。‥(胴上げをしようと)みんなが出てきた時に終わりの時間のこともあってヤバいと思ったんですよ。で、T田先生の顔を見たら涙ぐんでたんです。その瞬間あ〜よかったぁと思いましたよ。あのT田先生が(笑)」
― そう、いつもは厳しいT田先生が。鬼の眼にも涙ですね(笑)。でもホントにうれしかったでしょうね。‥今年も胴揚げしてましたよ。
「そういうのが続いていってもらうのもいいかな(笑)」
― またああいう瞬間が来るといいんだけど。なかなか味わえない瞬間ですね。
「それがよかったのかも。滅多に味わえないから」
― さっき楽しかったっていってたけど、やってる時は大変な苦労をしてやっと一つになってその苦労が報われた瞬間ですよね。
「実際生徒会のみんなが準備の中でピリピリしてて、喧嘩っていうかみんながみんな言い合ってるんですよね。終わってみたらよかったって言えるけど、こうして思い出してみるとみんな張り詰めてたなと思います」
■ 先輩へ、同級生へ
― 自分達で大勢の人たちをまとめる初めての仕事だからいろんなことがあるよね。さて、山内さんは百年の歴史で一番新しい後輩(卒業生)なんだけど、先輩に伝えたいことは何かありますか。
「昨年の行事をやっている中でいつも感じてたんですけど、たまたま僕達が百周年に巡り合わせたじゃないですか、こんな大きな行事やいい思いをさせてもらったけど、その百年の長い間一年一年努力してきた方々がいると思うんですね。その先輩たちにいつも感謝というか、ありがたいなぁと思ってます。すごいことだと思います、学校が百年続くということは。‥百周年文化祭の生徒会企画で歴代の総務(生徒会長)の方の紹介をしたんですが、終わって報告を兼ねて感謝の手紙を送ったんですけど、また返事を頂いたりして‥いつか会ってみたいなと思います。初代の方とか。‥同じ学校だと言うことがうれしいです」
― 昨年は僕も一年一年の積み重ねを感じましたね。‥同級生のみんなには何かありますか。
「いつまでも友達、仲間。何年経っても高校時代のように熱く語り合える仲間であってほしいです。それができると思うんですよね、福翔で同じ時間を過ごした友達は」
― 過ぎてしまえば短い時間だけど、大切な時間だったんだよね。
「これから先バラバラになってしまうと思うけど、たまに集まった時は高校時代みたいに仲良くしたいです」
― ぜひ間を開けずに連絡をとりあって、友達を大事にしてくださいね。それと悔いのないように野球も励んで下さい。今日は急なところありがとうございました。
「どうもありがとうございました」
Editor:Coppa Mijinco