― お仕事を終えてお疲れのところありがとうございます。さっそくですがお仕事やご家族のことなど近況を教えて下さい。
「実家でガラス店をやっていて、どちらかというと修理が主です。
家族は子供が四人いて実父母と妻の8人で暮らしています。」
― それは賑やかで楽しそうですね。お仕事では福翔へも行かれるそうですが。
「そうですね。先日も保健室の仕事で行きましたよ。」
― さて、在学中は応援団にいらしたそうですが、その活動を含め3年間の中で特に印象に残ったことは何ですか。
「えーと、応援団に入ったんですが、一度辞めて野球部に籍をおいたことがあるんです。
といっても、わずか4日だけなんですけどね。」
― 4日というのはまた短いですね。で、再度応援団にはいったんですね。
「すでに肩を壊していたので、野球部は、というより野球はやっぱりだめだと考えていた時に、応援団の先輩が『もどって来んや。』と声をかけられて、一度辞めたモンでも声をかけてくれるそんな気持ちに魅力を感じて応援団に再入部したんです。」
― その後はずっと在籍していらしたんですね。何か大きな事件はありませんでしたか。
「大きな事件…、そうやね、停学食らったことかな。」(この辺から口調が柔らかくなってくる)
― へぇ、停学ですか。理由は?
「理由はタバコ。
毎年『エール交換会』というのがあって、博多工業での交換会を終えて学校に帰ってきてトイレでタバコを吸いよったら、ドアが開く音がしてパッと見るとN倉先生が立っとったんよ。」
― あらら、それで。
「それで、『バコッ★☆!!』とクラされた。
これが日曜日。翌月曜日に親が呼び出されて校長室で自宅謹慎・停学を言い渡された。
謹慎中は毎日反省文を書いて夕方には担任だったN澤(き)先生が『どうしてるか』と様子ば見に来よったよ。」
― 毎日家にいたら退屈したでしょう。
「まぁ、そうやけど、実は謹慎中にコンサートに行ったんよ。
誰のかは忘れたけど、ジャズやった。今のメルパルクホール(当時:郵便貯金会館)で日曜日の夜にあったちゃん。」
― この件は初告白ですね。
「そう初めてやね。
それと親が呼ばれたのはもう一度あって、これはバイク(当時は中型、現在は限定解除)の免許。
見つかった時に親父が言いよったちゃけど、バイクにも乗りようとですかって聴かれて『いや、バイクには雁の巣の基地の中でしか乗りよらんですよ』げな、見え見えやろうモン。」
― 当然実際には乗ってた?
「ホンダのスーパーホーク3に、ホンットにまじめに楽しく乗りよったよ。
今はハーレーをもつのが夢。ローライダーか、ヘリテイジクラシックがいいな。」
― 話題はころっと変わりますが、今年の2月10日発行の福商会報にも原稿を寄せられていますが、昨年の100周年のイベント(Zeppで開催!福笑!福商100周年)は原田さんにとってどのようなものになったのでしょう。
「まず、スタッフとしてやって良かった。
準備は本当に大変やったけど、幅広い(年代の)人たちが集まってあんなに大きなイベントをやれたことを幸せに思う。
というより、集まってきた人たちの顔を見るだけで「福商」「福翔」を越えたところで幸福に感じとっちゃん。
そして何より、友達感覚でいろんな先輩が率先していらしてくれて感謝しとう。
僕もそうせんといかんと思っとうちゃけど、先輩が後輩を可愛がってくれてる。
先日の花見(4/1、於国分寺)には家族で参加して、妻はそん時にイベントの代表だったN田さんと初めて会ったちゃけど、『N田さんとは是非お友達になりたいな』て言いよった。」
― 原田さんにとってフクショウはどんなものですか。
「そうやね…、さっきのことと重なるけど「フクショウ」の校風なのかなぁ。
Zeppのイベントの時、集まった卒業生のみんなが堅苦しく先輩後輩ということにはとらわれず、いいもの楽しいものを創ろうとした。
福商が福翔に変わっても関係なく、ひとつの「フクショウ」の仲間なんだと感じました。
こんなふうに今でも感動させてくれる「フクショウ」は本当にかけがえのないものです。」
― 先輩、後輩へ一言お願いします。
「昨年来、fukusyo@ネットワークで多くの先輩後輩と知り合い、メチャクチャ楽しんでいます。
皆さん、ネットワークの輪に集まってください。
もっともっと大勢の卒業生で 今後もいろんなことを通じて楽しみましょう。」
― ネットワークに沢山の卒業生が集まるといいですね。熱いお話しをありがとうございました。
「ありがとう。」
Editor:Coppa Mijinco